イタリアから帰国しておよそ1ヶ月。
だんだん日本スタイルに感覚が戻って行くのを実感しています。
やはりこの国は迷いがあるように思います。
それはイタリアに比べて、
迷える程まだ余裕が残されているという事なのかもしれません。
日本の日常は、一日一日が膨大な情報に包まれて、
それを追いかけて収集している間に一日が終わってしまっている。
次の日は次の日で、また情報の中に埋没していきます。
とにかく脳に直接戦略的に語りかけて来る情報が
イタリアの1000倍はあるように思います。
日本人は、この情報を追いかけるのに
疲れているんじゃないかと思います。
正直私はそれに疲れます。
日本における優秀な社会人のイメージは、
一般的に、この膨大な日々の情報をちゃんと収集し、
頭の中でカテゴリー分けが出来て、
TPOに合わせて的確にその情報を取り出して使える人。
こんな感じありますよね。
そう言う人を目指している人一杯いる気がします。
日本のライフスタイルは、
「トレンドを追いかける日々」
とでもいえるのではないでしょうか。
でもそんな日々をバブル期以後もずっと続けて来て、
その結果、その過酷な労力に匹敵する効果、
見返りがあるようには思えないんですよね。
それを頑張っている人が、
あんまり幸せそうに見えないというか、
ただ優秀な人だな~と思うだけなんですよね。
その姿に憧れを抱けないんです。
今回2ヶ月イタリアで滞在する事で、
一番の発見は、イタリアでの1日の過ごし方に多くの選択肢が無いという事、
そして、その少ない選択肢でも充分に満足のいく日々が
手に入ったという経験でした。
その生活は凄くシンプルで、
大変不便で、上手く機能していない社会システムなのに、
危機的な不自由は無く、
これといって何も無いのに不満もない。
まあ、無いのであきらめるしかないんですけどね。
でもあの暮らし、とっても不思議な感覚なんですよね~。
違和感がない。
人生の喜びの一つに、「新しい価値観を得る」というのがあると思います。
これを得る為には、積極的に自分とは違う意見を尊重する姿勢って
どうしても必要です。
せっかく頑張り屋さんの日本人が、
もっともっと、その労力にふさわしいだけの幸せ感を得る為には、
まずは一定の情報を意図的に遮断して、
少しくつろぐ時間を得ること、
そして、自分の声に耳を傾け、
まずは自分の感覚をちゃんと信じる事からスタートなんだと思います。
ランキングや、~大賞受賞という肩書きに泳がされる事無く、
自分の舌が本当に旨いと感じているのか?
いくら田崎真也が、このワインはすばらしい!!と言っても、
味覚はそれぞれが違う訳ですし、食文化も育った環境で違います。
体調や気候にも大きく左右されます。
何かを参考にするという事を半分位減らしてもいいんじゃないかと。
例えば、私はトスカーナの塩の効いた生ハムが欲しい時もあるし、
パルマの塩が薄い生ハムが欲しい時も、
スペインの油の乗った生ハムが良い時だってあります。
だから自分の感覚と向き合う事って凄く大切だと思います。
そういう癖付けをしていく事の向こう側に、
日本人が心から納得の行く人生を見つけられる人が増えて来る気がします。
そこに出口があると思います。
訳のわからない添加物で一杯の商品がぎっしりと並ぶ
コンビニの姿に違和感を感じて欲しいです。
「この食品は安全です」こんな表示に慣れちゃだめだとおもいます。
まだまだ私たちの社会は「コンビニ=便利さ」を追求するムードにあります。
何かを得るという事は、必ず何かを失っています。
私たちは便利さを得て、何を失っているのでしょうか?
まさに「不便さ」を失っているのです。
一見「便利さ」は良い事。のように思いますが、
これは経済を動かす為の社会的な刷り込みです。
人生の楽しみ、豊かさって、実はこの「不便さ」の中に
多くの要素が含まれているのです。
日本中のキヨスクで売られる赤福餅、
たしかに便利ですが、
伊勢に行ったとき赤福を食べる感動は絶対に半減していますよね。
いつでもメールで連絡できる環境は、
他人からメッセージが届いた時の感動は必ず薄れているのです。
毎日郵便屋さんを待って手紙を待つなんて姿は、
完全に消え失せてしまいました。
それって結構寂しい事だし、
人生の中の感動をどんどん減らしているだけのような気がします。
あっという間に手に入る物は、
あっという間に飽きてしまいます。
得難いから愛おしいのです。
日本が元気に成るには、便利さを追いかける事をやめることです。
どんどん便利になって一日の速度が早く成ればなるほど、
視野が狭く成り景色を見る余裕がなくなるだけですから。