
人はどこに向かって歩くべきなのでしょうか?
フィレンツェ人はミラノ人をビジネスビジネスビジネス
と揶揄します。
ミラノ人はフィレンツェ人を見栄っ張りの田舎者と揶揄します。
私はフィレンツェの気風が心地よく感じる一人ですので、
ミラノに都会的な洗練された空気は充分に感じますが
やはり住むにはストレスを強く感じてしまいます。
(ただし、日本刀を熱い温度と叩き出しが
超越した優美さを作り出すように、人もまた
一定の意味有るストレスが無ければ「エレガンテ」という
次元には到達しないという思いは強く持っています。)
ミラノに比べてフィレンツェの時間はゆっくりです。
南に下がると、もっとゆっくりになります。
私はフィレンツェぐらいの時間速度が
生きて行く速度にはちょうど良く感じます。
人はそれぞれ価値観というものを持ちます。
何に価値を見いだすか、何を価値ある物と自らが認めるか。
その基準となる考え方、そして「肌に合う」という
感覚的な思いもまた大切にしたいと思っています。
そういったものと、どれだけ自らが向き合い、
自分の人生の糧とできるか?
私の夏の長期イタリア滞在は、
世界でもトップクラスであろう東京の暴走時間から離れ、
そのような事とじっくり向き合う為の大切な時間でもあります。
明日の帰国から日本の暴走時間の中で、
自分を見失う事なく人としても生きて行きたいですし
仕立て屋としても1着という単位に丁寧に向き合って
行きたいと思っています。
