2014年8月28日木曜日

Senso dei valori (価値観)



人はどこに向かって歩くべきなのでしょうか?
フィレンツェ人はミラノ人をビジネスビジネスビジネス
と揶揄します。
ミラノ人はフィレンツェ人を見栄っ張りの田舎者と揶揄します。
私はフィレンツェの気風が心地よく感じる一人ですので、
ミラノに都会的な洗練された空気は充分に感じますが
やはり住むにはストレスを強く感じてしまいます。
(ただし、日本刀を熱い温度と叩き出しが
超越した優美さを作り出すように、人もまた
一定の意味有るストレスが無ければ「エレガンテ」という
次元には到達しないという思いは強く持っています。)

ミラノに比べてフィレンツェの時間はゆっくりです。
南に下がると、もっとゆっくりになります。
私はフィレンツェぐらいの時間速度が
生きて行く速度にはちょうど良く感じます。

人はそれぞれ価値観というものを持ちます。
何に価値を見いだすか、何を価値ある物と自らが認めるか。
その基準となる考え方、そして「肌に合う」という
感覚的な思いもまた大切にしたいと思っています。
そういったものと、どれだけ自らが向き合い、
自分の人生の糧とできるか?

私の夏の長期イタリア滞在は、
世界でもトップクラスであろう東京の暴走時間から離れ、
そのような事とじっくり向き合う為の大切な時間でもあります。

明日の帰国から日本の暴走時間の中で、
自分を見失う事なく人としても生きて行きたいですし
仕立て屋としても1着という単位に丁寧に向き合って
行きたいと思っています。

2014年8月26日火曜日

言語・情報・知識・教養


「人は言語に支配されている」
という話題に興味を持ちました。
人は言語無しに思考できない。
思考するには必ず言語が必要。
古代から言語には神が宿るということも
言われて来ました。

さらに言語を含むありとあらゆる情報を
知識として取り込み
その知識の使い方を知る事を
教養というのではないか
という大変面白い話。

例えば歴史も教養の内ですが
歴史を知らなければ
「フィレンツェ人はこうだよね〜」とは言えても
じゃあ、何故フィレンツェ人はそうなのか?
という質問の答えは歴史を知らなければ得れない。

こういった事を整理して考えられるようになると
大変頭の中が整理される気がします。
本当に教養って大切なんだと改めて思いました。


2014年8月14日木曜日

必要以上の装飾と清潔感


 服飾も街づくりも、日常生活空間も必要以上の装飾や清潔感は
意味のないストレスになる。
そう考えるのは私だけでしょうか?
もちろん掃除をしなくていいというわけではありませんし、
装飾が無駄と言っているのではありません。
「必要以上の」というのがポイントなのです。
 フィレンツェで生活していると日本がいかに清潔感が有るか、
日本がいかに新しく装飾された人工物に溢れているかを強く感じます。
魚も清潔過ぎる水には住めないのと同様です。
何もかも清潔であれば有る程よい、
度の過ぎた装飾はエレガンテとは言わない。
人が人として人生の豊かさを味わうためには、
こういったセンスが大変重要だと感じています。

2014年8月8日金曜日

文化という素晴らしさ

文化という単語を辞書で引くと、こうある。

1、 人間の生活様式の全体。
人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。
それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、
学習によって伝習されるとともに、
相互の交流によって発展してきた。
2、 1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動。
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日本が戦後大きく欠落、レベルダウンしてしまったのは、
まさに文化だと思うのです。
日本の固有の文化が失われていったのはもちろんの事、
文化が持つ意味、本質というものがどんどんずれていった。
人間が人間らしく心の健康を保つ為には、
この文化というものが大変重要な役割を果たすのだという事を
イタリアに住むと本能的に実感するのです。