2015年12月13日日曜日
学びと気付き
学びと気づき
最近本当に多くの経験をさせていただきます。
自分の眼の前にある世界は
全部自分が作り上げた理想の世界だという
悲しみも寂しさも楽しさも充実感も
すべて自分が望んだ事だと
何か自分が 壁にぶつかった時
逃げずにありのままを受け入れる事
耳を澄まし聞こうとする事
勇気がいる事だと思うけど
学ぶため気づきを得るためには
悲しみや寂しさや苦しみも必要な事もある
まずはその感情から逃げずに
ありのままを受け入れる
そして耳を澄ます
すると聞こえてくるという
自分が今気づかなければいけない光が見つかるという
2015年11月25日水曜日
20代の課題
豊かさとは何か?
ずっと日本に生きてきて
その疑問が頭から離れたことはありません
20代の頃から
街で行き交う
休みなく必死で働く人々を眺め
TVなどで成功者と謳われる人々を観察してきました
私は人生で何を目指すべきかと
そのヒントを探してきました
せっかく生きているんだ
同じ生きるなら情熱を燃やせる生き方がしたい
退屈な人生は嫌だ
充実した人生の生き方を探す
そんな若き20代でした
いくら社会を眺めても
日本の社会になんともいえない違和感を
拭いきることはできませんでした
「頑張れ頑張れ」と私に訴えかけて来る大人たちが
あまり幸せそうに見えなかったのです
幸せそうに見えない人から
いくら頑張れと言われても
「何のために頑張らなくてはいけないの?」
という単純な疑問がどうしても湧いてくるのでした
「みんな頑張ってるじゃないか!!
だからお前も頑張れ」と言われても
そんなことで充実した人生は手に入るのか?
何をがんばるの?
だって早朝から定満員電車に揺られて頑張っている人々に
頑張った甲斐があり
情熱的に仕事に向き合い
充実した顔をしているような人
いないじゃないか〜って
それは すごく私にとっては純粋な疑問でしたし
正直な思いでした
でもその頃は私も若く
何もやる前から一歩も踏み出さない前から
そんなことを思い巡らして
ああでもないだろ〜
こうでもないだろう〜って
頭ばかり大きくしていた頃でしたので
自分の思いを訴えても
誰も聞いてくれないし
「じゃあ〜何かやってから言えよ」って
返ってくると
それに応える術はありませんでした
ただ流されて生きるのが嫌で
自分の足で歩いている実感が欲しくて
この仕立て屋という道を選び
技術を勉強して
多くのお客様に向き合う中で
いろんなことを肌で感じ
無い頭を使いながらやってきました
20年間という時間を費やし
ようやくなんとなく飯が食えるようになって
一般的に成功者と言われる人がやるような
高級車を買ってみたり
高級料亭で食事をしてみたり
高価なスーツに身をまとったり
高級住宅地に住んでみたり
いろいろと試してきました
でも、、、
頭だけ大きかったあの頃から
20年たった今
改めて思うのです
私は未だこの日本で
充実した生き方を見つけれずにいると
イタリアで月収20万円未満の人々が
純粋な笑顔で楽しそ〜に話しながら生きている姿を
15年間イタリアと通う中で見てきました
彼らのように笑いたい
彼らのように昨日でもなく明日でもなく
心の底から今日を味わって生きてみたい
頭だけ大きくしていた若き頃に比べると
少しだけいろんな経験を積んできました
しかし私の目の前に置かれている課題は
未だ未解決です
20年前とそれほど変わらない姿で。。。
2015年11月24日火曜日
今を生きる
「今」を味わうゆとりもなく
忙殺の中に吸い込まれるように消えていく人生の時間
まだまだ人生長いと思っていても
着実にカウントダウンは続いている
これではいけないはず
と心では分かっていても
止められない歩み
東京で歩みゆく人々をランチ時にビルの上から眺める
大勢の人々が行き交うが
だれも互いに目を合わせる人はいない
それぞれがぞれぞれの人生を
互いに干渉せずに生きる
それが都会
先進国では当たり前の姿
しかし少しアングルを変えれば
凄い違和感のある姿なんだろうな〜
日本で「今を生きる」って難しい
だってだれもそんな人いない
みんな過去か未来を生きている人ばかり
私もそう
明日や明後日のスケジュール
もっといえば来週のスケジュールを気にしながら
焦燥感一杯に今を浪費する日々
だから急に時間が出来ても
何をしたらいいかわからなくなる
スケジュールがなければ何もできない
ただぼ〜っとしていることすら
何やら罪悪感さえ生まれてきて
何かを始めたくなる
これって一種の都会病
日本病
そんな風に思う
輝くようなインスピレーションで
美しい物を作り上げて
喜びいっぱいの
仕立て屋になる為には
心のゆとりと豊かさが必要
早くフィレンツェに帰って
心をしっかりと洗浄して
再び栄養満点の心に戻りたい
自分の為にも
そして自分を囲んでくれる
周りの人たちの為にも。。。
2015年11月14日土曜日
夏のインスピレーション
イタリアからの帰国後
やっと1日だけ一息つける日がやってきました。
2ヶ月も夏のバカンスを取っていたら当たり前だよ〜って言われそうですが
忙しくなってくれての有難さはもちろん感じています。
この夏のイタリアでのバカンスでもらったインスピレーションは大変大きく、私の仕事や人生に大きな影響を与えてくれました。
クリエイティブという部分にもインスピレーションが!!
インスピレーションを言葉で表現するのは大変難しいことなのですが、
あえて言葉にすると、
「ありのままのすべてを受け入れる」
「過去や未来を生きないで今を生きる」
「愛」「ゆとりの空白の重要性」
「ニュートラル」「こだわりをなくす」
「こうしなくてはならない、こうあるべきという事は本来は何も無い」
「ピュアな心」「ピュアな食材を食すのもいい」
「リラックス」
こうした事で自分自身が浮き上がってくる。
そんなインスピレーションを受け
今までとはまた違ったイメージを持ちながら
仕立て屋の仕事にも向き合っています。
求めて得れるものではないので
大変貴重な経験です。
今日も今を感じながら生きたいと思います。✨✨
2015年9月21日月曜日
優先順位
イタリア人とひとくくりで言うのは難しい
これは日本も同じで日本人と言っても
大阪人と東京人は違うし
大阪人と京都人だって
関西圏に住んだ事のある人からすれば結構違う
私はフィレツェが拠点なので
どうしてもフィレンツェ人との接点が多い
なので私がこれからイタリア人と言うのは
フィレンツェ人を基本として捉えて頂いていい。
イタリア人達はステキだ!!
彼らは今日を生きている。
今日を輝かせるために生きてる。
彼らは良い意味でいい加減だ。
待ち合わせ時間も仕事の納期も
彼らの社会はそれらを守らなければならないもの
という意識が日本とは決定的に違う
少しぐらいならずれて当たり前だし
公共工事なんていつ終わるのか?
現場の人すら分かっていない。
終わった時が終わる時。
そんな感じだ。
日本とイタリアとは優先順位が全く違う
まあそれが文化というものだが
本当に文化の違いというものは面白い。
例えば、納期を守る事と
意味ある作品にじっくり取り組む事と
どちらが大切だと思いますか?
人間調子の良い時も悪い時もある
仕事も乗る時もそうでない時もある
何が大切で何が優先されるか?
そこを日本の社会ももっと考えて行く必要がある
みんながそうだからと盲目にルールを守って
はみ出さないように、
はみださないようにして生きる事に
日本人はみんな疲れている気がする
もっと自由でいい社会にならないと
自殺者も減らないぞ!!
いろんな価値観を認められる国こそ
豊かな国だと思う。
ピュアな食生活
ピュアな食材というものに最近目覚めて
楽しんで趣味の料理をしています。
私のピュアというのは2つの意味を持っていて
「新鮮さ」「無添加」です!!
今年の夏にプーリア地方のサレントという
美しい漁港で魚介類の究極の鮮度という
すばらしい食材に魅了されました。
そこで、昔から日本でも言われてきた事ですが
食べるとは「命を頂く事」その意味を
本当に実感できたのです。
今日を輝かせるために
食事の大切さ食卓の上にどんなものが並ぶか?
それが私たちの心と身体のエネルギーになるのだと。
感動させられるインスピレーションとは
常にシンプルなものであります。
2015年9月10日木曜日
ありのまま
よく自己啓発本なんかに
「がんばらなくていい」
「ありのままでいい」とか書いてあります。
ずっとずっとその内容に私は否定的でした。
(がんばらなくて、どうやって生きていくのか?)
(ありのままで、どうやって我が子供たちの口を養っていくのか?って)
でも、今回のイタリア滞在で
なんとなくその意味がわかる気がしてきました。
「がんばらなくていい」というのは
意味のない事をするから「頑張る」という
ニュアンスになるのであって
自分は何を楽しいとおもうのか?
自分は何をしているとき最も自然体でいられるのか?
ありのままといっても、
何も一日中TVを見て寝ていろと言っているのではなく
何か、自分の中にある光る物に気付き
日々の導きの中でいかに自然体に生きれるか?
それが自分を最も輝かせる事ができる方法だと
そういう道標的な意味かもしれないと
思うようになりました。
言葉の面白さに気づく!!
言語の種類とは大変面白い質を持っていると
今回のイタリア滞在で感じました。
イタリア語で接客したり、
イタリア人の友人と話したりしていると
自分が日本語とはなんだか違う気分で話している事に気付きました。
そして、なんとなく同じ内容を話していても
日本語とはニュアンスが違うのです。
言語って相手に自分の思いを伝える行為
たとえば私が仕立てた服の説明をするとき
イタリア語の方が胸の中の思いがストレートに出たり
気分が言葉に乗せやすいと感じました。
日本でも言霊というものがあるように
言葉には大きな力があると思います。
イタリア語って、芸術とか物づくりの
クリエイティブ系の人の能力や情熱を
引き出してくれる言語かも知れません!!
2015年9月9日水曜日
シンプルな新しい気付き
いろんな事をイタリアは私に教えてくれました。
そして今もその教えは続いています。
その教えは段階的に、そしてより精神性深くなってきており、
面白い事は、その内容がより単純なもの、
よりシンプルなものへと変わって来ているという事です。
私は若い時からいろんな事に疑問を持ち、
何が正しいのか、何が重要なのか、何が意味ある事なのか
いつも考えてきました。
そういう事を考えるのが好きな性質なんだと思います。
聖書の言葉にあるように、
「求めれば得られる」という言葉を信じて、
自分なりに答えを求めてきました。
今月で41歳になりますが、
今回のイタリア滞在でもまた再び新しい気づきを頂いています。
今回イタリアからもらった気づきは、大きく2点ありました。
大変単純な内容なので、おかしく思われるかもしれませんが、
一つ目は、体の無駄な力を抜いてリラックスする中から
自然に物事を見るアングルの大切さです。
理屈っぽいアングルでもなく、
ただ怠惰に過ごすだけのアングルでもなく、
ありのままに見るという自然なアングルです。
このアングルは実は大変難しく、
座禅や瞑想などとよく似ていて、
得ようと思えば得られず、
考え出すと雑念となりノイズが発生してしまいます。
ただ見る。
そういうアングルの重要性はある意味
なアングルなのかもしれません。
二つ目は、食の重要性です。
食の重要性なんて誰でも知っているテーマですし、
私自身も15年前から料理を趣味として生きています。
そんな中での新しい教えは、
ピュアな食材の神々しさとピュアな食材を活かした
シンプルな料理の素晴らしさです。
これは今回のバカンスで訪れたプーリア地方の
サレントという漁港の 美しい街で教わりました。
当たり前の事を教えられているのに、
それがあたかも新しい発見のように新鮮に感じる時があります。
まさにそういう教えこそ大切な気づきなのだと感じています。
なにもかもが揃う日本に生まれながら、
特に新しいものなんて何もないイタリアという国に大変多くを教わります。
後、数日で日本に帰ります。
帰国してからの日本での生活に
今回の気づきを活かしていきたいと思います。
2015年8月11日火曜日
気付きを求めて
FIRENZEのノイズの無さは私に大変大きな力と有意義な時間を与えてくれます。 大きなインスピレーションを頂く事もあれば、 調子に乗ってそれを求めると全然もらえません。 でも気がつけば、私が求める形でのインスピレーションとは違った角度の それをもらえている事に気づきます。 そしてそのインスピレーションこそが今の私が最も得なくてはいけないものだったり。
人生って自分への問いかけと、その問いに答えてくれるイタリア的に言うと聖霊からのメッセージの気付きだと思います。 ノイズの少ないこの街の空気でミケランジェロやダビンチ、ラファエロやバザーリ、ブルネレスキが美しい芸術を残しました。 彼らの作品を生活の中で日常的に見る事のできる環境は、大変大きなものだと思います。 数百年経った今でもまったく枯れずに輝き続ける芸術。 芸術という素晴らしさは、その人が死した後でも脈々と次の世代に残り、大きな影響を与え続けます。
私の仕事である服作りは、後世に残るような芸術ではありません。 寿命は良く持っても10年というもの。 しかしその10年というお客様の時間に責任を持つという仕事は やはりやり甲斐があり、緊張感があり、 刹那な時間を担当するという潔さも感じます。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
淀みに浮かぶうたかたを作り、時間と共にそのものは消えていきます。 そこにどんな意味を持たせる事ができるか? 仕立て屋としての問いは死ぬまで続くのかもしれません。
私が尊敬し愛した祖父が亡くなった時、祖父が仕立て屋に作らせたスーツがありました。そのスーツは祖父の匂いがしていて祖父が死しても祖父の存在を大変感じる物でした。そのスーツは昔のブリティッシュ仕立ての手縫いで丁寧な仕事のスーツでしたが、生地と仕立て方が合わさって、大変どっしりと重く、今私が作るスーツと比べたら肩が凝るスーツだったろうな〜と思います。 そんな肩が凝るようなスーツでも、そのスーツには祖父の魂が宿っていたように思います。それを思えば、技術や機能性だけでは計り知れない要素が服にはあるのだなと気付かされます。 フィレンツェの街にあふれる美しい芸術に囲まれながら、スーツというシンプルな物の中にまだ私が気づかないどれだけの可能性があるのだろうか?と素直に思いをはせる日々であります。
2015年8月2日日曜日
FIRENZEでのスーパームーン
ここ数年で最も力の有る月と言われる「スーパー・ブルームーン」
その時期をフィレンツェで迎えた。
今日は夕刻から洪水になりかけるくらいの大雨に見舞われたフィレンツェも、レストランでのディナーが終わればフィレンツェ中の汚れた空気を全て洗い流していた。日中の猛暑とは打って変わった澄みきった冷たい風を受けながらフィレンツェの夜を歩く。
家路に帰るための曲がり角を曲がったらそこに巨大なスーパームーンが出現。身体中に走る鳥肌と共に足をとめるしかない衝動に見舞われ言葉を失う。
何かに導かれるような思いでゆっくりと家路に向かった。
なんとも言えない夜でありました。
2015年7月30日木曜日
フィレンツェの滞在理由
私が毎年フィレンツェに長期、中期に渡り滞在する理由は、本来のあるべき姿を知る、または思い出す為。 それが目的の一番の理由かもしれません。昔は技術を学ぶ為や仕入れの為に来ていましたが、いつの日からか理由が変化していきました。
私にとってフィレンツェという街は、日本の都会に比べてノイズが極めて少ないだけでなく、何かの導きにあるような目に見えない要素をも感じています。新しいインスピレーションを得て、あるべき姿を思い出す。
フィレンツェの守護聖人である洗礼者ヨハネが「主の道を備える者」と言われたように、まさにこの街で本来あるべき道に起動修正し、道を舗装しなければならない必然を感じているのです。
2015年7月2日木曜日
情報
これから10年で
もしも量子コンピューターが完成したら
私達の情報量は現在の数百億倍になるそうです
そうなれば、もう私たちの脳では絶対に処理できない情報量になります
誰もが情報に追いつけない世界
そうなる事で、生真面目な日本人に大きな気付きが有ればいいなと思います
現在私たちが一生懸命向き合っている情報のほとんどが、
豊かに人生を過ごす為に全く意味が無いものであることに。。。
2015年6月30日火曜日
2015年6月26日金曜日
言葉
本日は言葉というキーワードからスタートしたいと思います。
言葉の力とはなんでしょうか?
「言霊」ともあるように
言葉には力があるとも言われます。
古くはエジプト・バビロニア時代のトート神という神が
人間に授けたとされる言葉
そして人は言葉を持ってのみ思考できる事から
人の意識は言葉であるとも言えます
意識が物質を作り出すという世界観が
最新のサイエンスでは
遠くなくエビデンスが出るとも
言われています。
人間が協力して神に逆らう事のできないように
言葉で人間を分けたと旧約聖書にはあります
バベルの塔に関係する一節
そうして分けられた世界の言語
ある人はこう言いました
英語は商人の言葉
ドイツ語は馬と話す言葉
フランス語はベッドで愛を囁く言葉
イタリア語は詩を読む言葉
スペイン語は神と話す言葉だと
さて私たちの日本語はどんな言葉でしょうか?
本日も無事な1日でありますように
2015年6月25日木曜日
方丈記
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
現代訳:ゆく河の水の流れは絶える事がなく流れ続ける状態にあって、それでいて、それぞれのもともとの水ではない。川面に浮かぶ泡つぶは、消えては生まれ、生れては消え、片時もとどまることはない。
ーーーーーーーー
これもまた宇宙の姿、または私たちの生命活動や娑婆の姿、はたまた時の流れをも表す大変美しい文章です。
このような文章は崇高な音楽にも等しく、日常のノイズから私たちを解き放ってくれる力をも感じます。
本日も無事な1日でありますように
このような文章は崇高な音楽にも等しく、日常のノイズから私たちを解き放ってくれる力をも感じます。
本日も無事な1日でありますように
山
なんでもいい 人一倍,人十倍,人百倍
夢中になれる事を探す事ができたら
それが自分の道となり
オリジナルになるだろう
誰もまだ手をつけた事の無い山は
もしかしたら見つから無いかもしれない
しかしその山を誰かが以前に登った山だと知らなければ
自分が最初に登った山という事でいいのだと思う
いや たとえ誰かと同じ山を登ったとしても
その山をなぜ登ったのか
その山はどんな匂いがして
何を思い何を感じ登ったのか
それはあなただけの感覚であり
以前その山を登った彼とは
まったく違うはずである
やっぱりその山はあなたが初めて登ったのだよ
人は皆 生まれた瞬間にオリジナル
わざわざオリジナルを目指さなくとも
すでにオリジナルなのだ
ただその自らのオリジナルを感じ
その魅力を確認したければ
あなたは登らなければならない
あなたの足で
あなたの心で
あなたの意志で
2015年6月24日水曜日
自由
本日は釈迦の言葉からスタートしたいと思います。
釈迦が残した哲学には大変驚かされ
そして心を打たれます
釈迦が説いた、自由・平等・博愛
中でも「自由」において釈迦は
「自らに由(よ)る」と説きました
己こそ己の寄るべ
己を置きて
誰に寄るべぞ
よく整えし己こそ
まこと得難き寄るべなり
自ら悪をなさば 自ら汚れ
自ら悪をなさざれば 自らが清し
清きも清かざるも 自らのことなり
他のものに寄りて 清むることを得ず
厳しい言葉のようで潔さのある言葉にも感じます
孟子の言った「大丈夫」などの道徳的な要素すら無い
大変シンプルで余分な贅肉の一切無い言葉に美しさも感じます
本日も無事な1日でありますように
2015年6月23日火曜日
量子の世界に見えるもの
本日は量子力学の世界からスタートします。
量子力学の世界では「量子のもつれ」「重ね合わせ」という素粒子の状態がさまざまな実験結果から100%としてのエビデンスが世界中で取れています。
しかしながら、なぜそのような状態があり得るのか?について、実は世界中のトップの物理学者が「????????」だと言うのです。 なぜなら、素粒子のミクロの世界を見ると、個体のようで波のようで、はたまた、有るようで無いようで、、、まさに「色即是空 空即是色」の仏教哲学世界そのままなのです。
となりますと、それらの素粒子からなる私たちもまた「有るようで無いような、、、」「肉体であり精霊のような」「個体であり波動のような、、、」そうなってしまうというわけです。 私たちが信じているこの世が、実際は目に見える世界はほんの一部で、もっともっと幻想的で幻に近い存在であることが、最先端科学の力で垣間見れて来たのかもしれません。
私はスピリチュアルという言葉は好きではありません。なぜならスピリチュアルと言ってしまえば、そこから思考しなくなってしまうと感じるからです。
私たち人間が、一般的にこの目で見える範囲は「可視光線」の波長のみです。それをとってみても、まさに私たちは実在するはずの物を「波」として自分に取り入れ、それを判断し感じているのです。
さて、仕立屋として「色」というものをどう考えるか? 「色」というものとどう向き合うべきか? 量子の世界もまた、私に何かを教えてくれる気がしているのです。
本日も無事な1日でありますように。
2015年6月19日金曜日
PITTI UOMO
現在、FIRENZEで世界最大規模のメンズのプレタポルテの展示会 PITTI UOMOが開催されています。
数年前ぐらい前までは、この展示会に足繁く通っては仕立屋としても大いに刺激を受けていました。色を魔術師の様に使うイタリアを中心とした各メーカーのセンスに圧倒され、いろんな発見と感動を受けていました。
しかし、最近はこの展示会に通わなくなりました。
理由は何となく違和感を感じ始めたからです。
各メーカーが打ち出す色鮮やかな作品と、そのセンス力にただ圧倒されているだけでは、所詮は彼らの後追い、そしてモノマネにしかなりません。
ただ私の目を通して脳だけを刺激される展示会にこのまま通い続けても、あまり大きな意味を持たない気がし始めました。
展示会でいくら刺激を受けたところで、自分の身になったのは、思い返して見てもほんのほんのわずかだった事に気付いたのです。
私にはそれよりももっと先にやらなくてはならない事が山の様に残されていたのだと思う様になりました。
それは簡単に言えば、彼らのセンスの源を探す事でしょうか。
センスとは何か?色とは何か?服とは何か?
そういった事に向きあう方が先だと思ったのです。
ですので、もう少しPITTIの展示会はお休みです。
まだまだしばらくは、展示会での勉強より先にやらなくてはいけない勉強に励みたいとおもいます。
2015年5月30日土曜日
素粒子の世界と宇宙論
旧約聖書での安息日となる土曜日です。
今日も寝起きに風呂場での冷水行で死にそうになってのスタートです。
新しい宇宙論が気絶するほど興味深い。
原子核の中に陽子と中性子があり、原子核の周りには電子が帯びて、それが組み合わさって地球上の万物が形成されている事は、すでに私たちの認識です。
そこで現在最も新しい理論として出てきてのが、たった1立方センチメートルの中性子の中に、全宇宙を超えるエネルギーが存在するという計算になってしまうという発見です。 これは驚きの事実です。という事は私たちの体の中には数十億個の銀河系が持つエネルギーが入っている事になるからです。
中性子はブラックホールである。という事らしいですが、それがどういう意味なのかは私にはわかりません。しかしイメージするだけでも凄い事である事はわかります。
さらに電気的宇宙論と組み合わせて想像すると、私たちの体の中の膨大なエネルギーが宇宙を創っているほとんどの要素であるプラズマとつながれば、全宇宙と瞬時につながり、量子論的な要素を合わせると、次元を超えた奇跡の旅が実現してしまうのです。 そうなると「悟り」とも似た世界を理論上で体感する事になります。
いや〜大変興味深いですね。
今日も無事な1日でありますように。
2015年5月29日金曜日
「冷水行」
本日は「冷水行」からスタートしたいと思います。
冷水行というものをネットで知りました。
いわば簡易的な滝行のようなもので、
毎朝寝て起きてすぐに冷水のシャワーを浴びるというものです。
なんでも一度はやってみないと気が済まない私は恐る恐るやってみました。
いざやってみると想像と結構違いました。
そもそも「滝行」とは、滝つぼに入り気合を入れて滝を浴びる。はじめは冷たさや衝撃で苦しいが慣れてくるとそれを超えられる。徐々に苦しさが消えてゆき水に打たれる感覚だけが残る。滝という激しい水の中では雑念が湧く余裕すらなくなるので精神統一が行いやすい。自然と向き合い自然と一体化する体験を得る。
坐禅にも近い境地を求める行です。
実際にやってみると、冷水を浴びるってこんなに辛い事かとびっくりしました。3分が目安だという事ですが、無理無理〜〜〜〜〜!!それでも、現在なんとなく癖になり毎日やっていますが、やっぱり30秒が限界です。汗”” 心臓にショックが少ないように、一応最初は足から浴びて、そして頭から浴びるのですが、もうなんといったらいいのか。お経など、とにかく大声をだしてなんとかしてこの冷たさをまぎらわせたいという衝動にかられます。もちろん近所の人が朝からびっくりするので、声をこらえて泣きそうになりながら浴びるのですが。。。
「効果」としては、
1日の最初にもっとも嫌な事に取り組む事、さらに心臓を一気に動かして毛細血管の隅々まで一気に血液を回す事、そして本能的な部分に軽い恐怖心みたいなものを与える事。
この3つの原因を作る事で、その日1日の中で嫌な事でもやらなくてはいけない事などに、取り組みやすくなる。「冷水行に比べたらこんなのは楽かも!!」って具合に、それを本能的に思考できる原因を朝一番に作るんですね。
やってみて、結果は、
たしかに、一瞬で目が覚めて冷水行のすぐ後から、服を着てすぐに頭脳も明晰で仕事に取り組めるようにはなりますね。
私は午前中にがっつり仕事をしなくてはいけないスケジュールの組み方を最近やっていますので、大変この冷水行は役に立っています。
宗教的な、精神の浄化だとか、自然との一体化などとは、まだまだ異次元の世界です。冷水行たった30秒で、泣きながらシャワーから出てきて、服着て仕事を始めるといった、現場は大変情けないものです。。。
2015年5月28日木曜日
「坐禅」
本日は「坐禅」からスタートしたいと思います。
私が崇拝してやまないのは曹洞宗の開祖「道元」です。
徒(いたずら)に見性を追い求めず、坐禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがあるという修証一等、只管打坐の禅を伝えました。
ただ座るという極めてシンプルな様式をもって、私たちが現実という物質世界とは違う、宇宙や意識世界または多次元世界(過去や未来も含む)と常につながっている事を認識させ、人々に自然界宇宙の理を示し、人間それ、そのものが個として仏であり、すでに完成された意識体であるという事を教えました。
しかしながら、いざ座ると、 何も考え無いという事の難しさ 物質世界のさまざまなノイズが否応なしに脳裏をよぎります。 消そうとすればするほどいっぱいになってくるノイズ 執着を無くすという困難さが痛いほどよくわかります。
「自我をなくそうとする事は自我 無くそうと思えば思うほど自我が強くなる」
毎日5分10分坐禅をする中で、理屈ではない世界を求めて。。。
2015年5月27日水曜日
ダビンチを表す7つの要素
おはようございます。
本日は、「レオナルド・ダ・ビンチ」を表す7つの要素からスタートしたいと思います。
ダビンチの要素を7つに分類した方がいらっしゃいます。
大変興味深く、さらにダビンチの天才ぶりに大変驚かされる内容です。
ダビンチの様には絶対になれませんが、情報量が加速度的に膨張し続けている現代、すでに人間個人の力で情報を追いかけるのは不可能となりました。情報に溺れ現実を見失い先進国での多くの人々が「鬱」との戦いです。
そんな現代において情報とは何か?人間が人間として豊かに過ごして行くために持つべき基礎教養とは何か?のヒントをダビンチは教えてくれている気が致します。
ーーーーーーーーーー
1、Curiosita(クリオシタ) 人生に対する貪欲な好奇心、また常に何かを学ぼうとする精神。 才能ある人々は、常に疑問を持ち、質問を繰り返しながら生きている。
2、Dimostrasione(ディモンストラツィオーネ) 知識を実験によって何度も試す粘り強さ、また失敗から学ぼうとする姿勢。
3、Sensazione(センサツィオーネ) 5感を磨く事、(視覚・聴覚・味覚・触覚・臭覚)
4、Sfumato(スフマート) 曖昧な事、矛盾、不明確な事を容認する心
5、Atte/Scienza(アルテ/シエンツィア) アートとサイエンス、理論と想像のバランスを養う事。脳を全体的に使う事。
6、Corporalita(コルポラリタ) バランス感覚のある身のこなし、優雅さ、軽さ、手先の器用さ
7、Connessione(コンネッシオーネ)連結 すべての物事や現象が、宇宙的な領域も含めて、互いに複雑な関係で結ばれている事を認め、理解する事。
2015年5月26日火曜日
天使ガブリエル
今日は天使「ガブリエル」からスタートしたいと思います。
天使ガブリエルは天使の中でも珍しく女性系。こんな美しいガブリエルなら是非お会いしたいものです。
ガブリエルは、キリスト教での聖母マリアへの受胎告知で有名ですが、ユダヤ教のタルムードにはモーゼの遺体を運んだのもガブリエルと記されており、イスラム教の預言者ムハンマドにコーランを書かせたのもガブリエルだとか。。。
聖書においてガブリエルは「神のことばを伝える天使」とあります。それでは神は、キリスト教とイスラム教を作った事になります。でも現在も宗教間での争いは絶えません。神の意図はなんだったのでしょうか。
ガブリエルにお会いしたら聞いてみたいと思います。
今日も無事な1日でありますように。
2015年5月25日月曜日
松果体という脳のCPU
本日は、「ヘルメスの杖」からスタートしたいと思います。
バビロニアやエジプトの古代遺跡に記されてる
ギリシャ神話にも出てくる「ヘルメスの杖」
2匹が絡み合った蛇=ヒトゲノム(螺旋状の遺伝子)
杖の一番上の⚪︎が「松果体」と言われています。
古代遺跡にも人間の脳の構造を記した壁画。
バチカンの中央にもなぜか「松ぼっくり」=松果体
松果体=人間の脳のCPU的な機能
精神鍛錬をすることで松果体を自ら操れるようになると、 ペルーのヨガの奥義では、氷の上に長く座禅を組んでも 寒くもなく、いつまでも氷を溶かさずに座り続けることができるらしいですね。
チベット密教では、真っ赤に焼けた石の上を歩いても火傷ひとつしない。
これも松果体が起こす人間の不思議だとか。
人間の体は不思議でいっぱいです。
知ることで新しい世界が開け、
新しいアングルを手にいれることができます。
そして新しい価値観との遭遇は
人生の最も大きな喜びの一つだと思います。
2015年5月23日土曜日
DNA

おはようございます。
今日はDNAからスタートしたいと思います。
DNAはデオキシリボース(五炭糖)とリン酸、 塩基 から構成される核酸である。 ???全く私には何のことかわかりません。汗”” が続けます。
塩基はプリン塩基である
アデニン(A)
グアニン(G)
ピリミジン塩基である
シトシン(C)
チミン(T)
の合計四種類ある。
4種類しかないと言うほうがふさわしいかもしれません。
人間の遺伝子の中に、地球上の他の生物には一切見られない「223個」の遺伝子が発見されたそうです。 人間だけが持つ遺伝子。 この遺伝子はどこから来たのか? 誰からもらったのでしょうか?
意識・魂・肉体・DNA・奇跡・覚醒・古代遺跡・神話・神・仏・科学技術・宇宙・天体・次元・素粒子・量子力学・・・
偉大な発見や、新しい価値観との出会いは お金に変えられない豊かさがあります。
2015年5月22日金曜日
Platon

本日は、古代ギリシャの哲学者「プラトン」の言葉からスタートする事にします。
「あなたは、あなたが死ぬまで幸せだったかどうかは言えない」
難しい言葉だと思います。
いくら心の平安を求めても、そもそも私たちの目や耳にに入るすべての事象は幻なので、得ようとして得られるものでは無いという事なのでしょうか?
そもそも無理な事をいくら求めても仕方がなく、あなたが求める事をやめた時、初めて心の平安は訪れる。心の平安は、あなたが執着に対する歩みを止めた時、それと同時に現れるという事なのでしょうか。
もしそうであったとしたなら
道元が示した只管打坐(しかんたざ)
空海が「虚空盡き、衆生盡き、涅槃盡きなば、我が願いも。。。」
仏教哲学にも引き継がれている気が致します。
2015年5月21日木曜日
「ジッドゥ・クリシュナムルティ」

近代の聖者「ジッドゥ・クリシュナムルティ」は、
(あくまで私の理解です)
「自由」を説きました。
権威、信仰、そして自らの信念さえも
その一切の執着を捨て去り
自由を求めなさいと
あなたが執着している
記憶、経験、失敗、野望を捨て
それらの全てを終わらせることが出来た時
そこには「絶対的な自由感」があると
自分の小さな苦痛からの開放感があると
彼は同時に「愛」についても語りました
愛は美しく、優美であると
嫉妬、野望、攻撃、暴力などは
愛の中には有りえない事に気付きなさいと
愛ある行動は正しい行いになり
その行いは葛藤をもたらさない
嫉妬や敵対心などの
人間関係のあらゆる苦悩から解放されると
説きました
「Connessione」
今日は、イタリアの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの
「Connessione」
という言葉からスタートしてみたいと思います。
直訳すると「接続」となりますが、
彼の言う意味はそう単純なものではなく、
水面に石を一つ投げたら、
その波紋はあらゆる方向に、
あらゆるものを巻き込みながら宇宙にまで広がって行くのと同じように、宇宙と私たち人間を含むすべてのものは繋がっているという意味だそうです。
古代エジプトのトート神から受け継がれてきた、エメラルドタブレットの言葉
「上のごとく下も然り」と同意かと思われます。
16歳にして覚醒したと言われる
南インドの聖人 ラマナ・マハルシ
「真理こそが私である」
ここでいう「私」とは、
もちろんラマナ自身を意味するものではなく、
私たち一人一人を言う。
2015年5月5日火曜日
歩く速度
仏教では執着を断つ事で涅槃へと導かれるとあります。
心静かな世界、悟りの境地とはどんな世界なんでしょうね。
元々私は 人様からこのように思われたいとか、
あれが食べたいこれも食べたい、
あれが欲しいこれもいいな〜など、
コンプレックスや煩悩で一杯でした。
最近そういった欲から
なんとなく少しだけ解放される時があります。
そういう時ってすごく楽なんですよね〜
まだまだ生き方が下手だな〜っておもいます。
私も気がつけば40歳
これからは、少しだけでも歩く速度を緩めて
もっと景色を味わって行けたらと思います。
2015年3月8日日曜日
今回のフィレンツェ滞在で得た新しいインスピレーション
フィレンツェから帰国した後、ずっと気管支炎で倒れていました。ようやく復活して来ましたが、治りの遅さに年齢を感じています。今回のフィレンツェ滞在はいつもより地味な滞在でした。とはいえ、得たものは大きく、心の支えになるようなインスピレーションや、物を見る新しいアングルや感覚を得ることができました。それはフィレンツェでの極めてシンプルな生活が、私にじわ〜っと感じさせてくれるものでした。最近では最小限主義とかミニマニストという考え方もあるようですが、まさに私もそれに似た感覚を得たのです。息子と二人での1ヶ月のフィレンツェ滞在。いつものようにアパートを借りての自炊の日々です。本当に最小限の物しかありません。フライパン1個、鍋1個、お皿6枚、コップはプラスチックの紙コップ系のやつです。あれを4つ、洗っては使いという風に。ダイエットも兼ねての生活でしたので、ちゃんとした食事は1日1回。あとはフルーツや目玉焼きなどで耐えます。辛いのは最初の2日間だけ。人間って本当に凄く、あっという間に胃が小さくなり慣れてきます。食事内容も今回は極めて質素な食事にしてみました。とはいえ、スーパーで1.5ユーロで売られているジェノベーゼピューレがすっごく美味しいので、それを茹でたパスタと絡めるだけで、全然質素な料理とはおもわずに毎日美味しい食卓でした。チーズを添えて食後にオレンジなどを剥くと、もう十分すぎるほどです。かかるお金は極めてミニマム。1ユーロしないパスタの1箱で3食は食べれるので、1週間でも2ユーロ(270円)あればパスタが食べれるわけです。1日の食費、本当に息子と2人で500円かからなかったと思います。時々お肉とか買ってきても、ジューシーな豚肉ステーキが2枚で2.5ユーロですから一人170円。やっぱり500円しないですよね。とにかく毎日が安くて美味しい食卓でした。今回のイタリア滞在は、仕事のスケジュールもいつもに比べると緩やかだったのでかなり自由な時間がありました。滞在の半分の日程は何もスケジュールが無いという、いままでには無かった環境に恵まれていましたので、息子の勉強のドリルを毎日数時間見たりしながら、日本での生活では、なかなかできない父親をやったり洗濯機を回し息子と干したり。一つ一つが地味ですが、何となくイタリアでの生の生活を味わう機会でした。そんな生活の中からだんだん感じて来るもの、それはこんなに質素な生活なのになぜ「ひもじい感」が無いの?という疑問でした。無駄なものが全部そぎ落とされた生活。そこで見たものは意外にも不思議な充実感でした。不思議な充実感というのは、満たされてという充実というより、不足がないという充実感という感じです。こんない質素でシンプルな生活なのに、別に文句もなく、不満もないことに気づいた時、何か新しいものを発見したような気がしたわけです。あれ?日本ではいろんなものが山ほどあるのに、こんな充実感ないよな〜?それは自然な疑問でした。この新しい発見は日本に帰国した後でも、私の新しい考え方の軸となって、日本でもまた新しい物を見る角度を得たんじゃないか?という直感がありました。現在帰国して1週間が過ぎましたが、たしかに現在いままでになかったような面白い心境を楽しんでいます。日本には物が溢れています。イタリアの50倍ほどあるでしょうか?しかし何かこの国は希薄な気がするのです。日本の1日は大変忙しい。しかし何か充実感に欠ける手応えのなさがあります。それがいったい何なのか?まだはっきりとはわかりませんが、日本でも少しでも充実した生活を送れるための新しいインスピレーション、ヒントを得た今回のフィレンツェ滞在だったような気がしています。
2015年2月22日日曜日
フィレンツェが注いでくれた新しい衝動
実は今回のイタリア出張、あまり自分に期待が持てなかったんです。日本での仕事が忙しすぎたのか何なのか、とにかく心が疲れ果てていました。再び元気を取り戻さなくてはならない。そういう意味では課題ははっきりしていました。まずは元気を取り戻すことでした。
今回フィレンツェを訪れてすぐに面白い事がありました。大友人の額縁職人Gabriele Maselli が、いつものように「早くこっち(フィレンツェ)に来て住めよ〜!!」と言ってきました。その後に新しい言葉がくっ付いてきました。「HAMADAどうだフィレンツェは?こうやって度々来るとだんだんフィレンツェも見える景色や印象が変わってくるだろう?どうだ?」正直びっくりしました。こういう事をガブリエッレから今まで言われた事が無かったからです。ガブリエッレのこの言葉からスタートしたこの度の滞在。まさにこの言葉が今回の滞在の意味を占っていたようにも思います。
今回の滞在で何かを変えなくてはならない。そんな漠然とした焦燥感がありました。仕事においても、ライフスタイル全般においてもです。仕立て屋を始めて今年で16年目。ようやく軌道に乗り出したかのように見える中、私の中で何かが無くなり始めているのを感じていました。それが情熱なのか、方向性なのか何なのか?日本での超多忙な日々の中で「忙」という字が語っているように、心を亡くして行っているのを感じていました。これは自分にとって大変厳しく、今まで何かしらの熱を燃料に前に進んできた自分としては熱が無くなってくると前に進めなくなってくるんです。それは洋服を作るときにも大きく影響します。当然、服作りには基本というものがあり、それに沿ってしっかりと仕事をすればある程度の品質までは行けます。情熱があろうが無かろうが、ちゃんとやれば一定の品質に仕上げる事は出来ます。なにせ16年もやってきたんですから。でもそのような、どこか冷めた思いで仕事を続ける事はこの種の仕事を続けていく上で大変辛いことです。ある種の熱が無くなると洋服作りにも迷いが生じてきます。迷うと自信が持てなくなって行きます。本当にこれでよいのか?どうすれば良いのか?考えれば考えるほど迷路の中に入っていくのです。
洋服作りにおいて私が考える角度は大きく2つあります。1つは当然技術面です。もう一つは感性とでもいうのでしょうか。作る洋服の方向性と最終的な仕上がりのイメージです。 最近の大きな課題はもっぱら後者の方でした。ある程度のものが作れるように成るまでは、技術面の勉強で手が一杯で感性どころではありません。でもさすがにこの業界に19歳から入って40歳にもなると、だんだん後者の方がキーワードになってきます。とはいえ、ここ数年はなんとかごまかしごまかしやって来れたんです。でもいよいよそうは行かなくなって、そろそろ真剣に向き合わないとどうしようも無くなってきたのを強く感じていました。この課題に向き合う為の時間。それが今回のフィレンツェ滞在の最も大きな宿題でもありました。 フィレンツェでこの宿題の答えを探していると、意外な展開に導かれる事になったのです。それは驚く事に第3の角度の発見でした。これは私を大きく驚かせたと同時に、静かでなにやら不気味で何か深い部分の衝動が私を襲ってきたのです。
滞在も今日で3週間が経過。残すところ後5日間。第3の角度がいったい何なのか?それがはっきりと見えたとは全然言えません。しかし確かに大きな感触がありました。第3の角度の発見に向けての「鍵」は、フィレンツェの至る所にありました。ある時は堂々と、ある時は少し隠されるように、そしてある時はジワーッと胸に沁みてくるように存在しました。滞在先のアパートから徒歩30秒の場所に有るイタリアで最も古い劇場に行き、素晴らしいピアノの演奏を聴いた夜も、フィレンツェの職人マエストロ達と話す中で、彼らの仕草や何気ない言葉の節々の中にも、散歩しながら眺める、人々が行き交うフィレンツェの日常生活の景色の中にも、キラキラと光るいろんな種類の鍵が有りました。それら壊れやすい鍵を見つけると丁寧につまみあげてポケットにしまい込み、アパートに帰りそっと取り出してよく観察する。そんな3週間だったように思います。途中風邪をひいてしまいベッドで横になっていた数日間も、キラキラ光る繊細な鍵を眺めながら想いを巡らしていました。こういった課題ははっきりとした答えが出る性質のものでは無いと思います。なんとなく自分の中でピントが合ってくるというか、自分の心がしっくりくるように成ってくる。そんな現象がこの手の課題の答えに近い状態だと思うのです。たしかに現在私は何かを感じています。第3の角度の発見への驚きと今まであまり感じたことの無い性質の畏怖と共に何かしっくり来るものを感じ始めています。そして今まで失いかけていた制作意欲といいますか、どういう物を作っていくか?という思いにもまた、少しずつ色づいて来るものを感じています。
今回のフィレンツェ滞在は、私の予想とは大きく異なり、思った以上の成果をもたらせてくれました。フィレンツェはまた大きな奇跡を私に注いでくれたように思うのです。第3の角度、あえて今の段階で言葉にするなら「オリジナリティー」とでも言うのでしょうか?そんな新しい衝動をたずさえて、もうすぐ日本に帰ります。
2015年1月3日土曜日
謹賀新年
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
昨年はお陰さまで大変忙しい年でございました。
春に家族を関西から鎌倉に引っ越しをさせ、
夏にフィレンツェでマエストロの称号を頂戴し、
秋は銀座から日本橋にオーダーサロンを移動させ
冬はご予約を追いかけて行くうちに一年が終わりました。
1年あっという間ですが、振り返ると色々あるものだな〜と思います。
しかし忙しさと、どこまで自分が成長したか?は、
また別の話です。
忙しさの中でただ作業をこなし日々暴走する時間に
ただ流されている自分に気づきます。
ふと今自分が人生の中でどこで何をしているのか
これからどこへ向かい何を学び、どう進んで行くのか
そういったテーマと向き合う時間が無い、
またそういったテーマと向き合う為の栄養を吸収する時間が無い
さらにパワーもハングリー精神もだんだん減って来ている気がします。
40歳になり仕事としても人生としても
じっくりと味わう事にも一生懸命になりたいし
味わう為の技術や感性や教養も欲しい。
「忙しい時期はとにかく走る事だ、
いつまでも忙しい事などありえないんだから」
と言って下さる先輩もいます。
たしかにそうだな〜と思いながらも、
やっぱりそんな中でも軸はぶれる事無く
どこかそう言った忙しさの中にも
実感有る手応えを味わいながらでなければ
良き歩みができないように思うのです。
今年はそういう意味でも昨年も模索しながらがの日々でしたが、
引き続き自分なりの歩き方を探して行きたいと思います。
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