2015年6月30日火曜日
2015年6月26日金曜日
言葉
本日は言葉というキーワードからスタートしたいと思います。
言葉の力とはなんでしょうか?
「言霊」ともあるように
言葉には力があるとも言われます。
古くはエジプト・バビロニア時代のトート神という神が
人間に授けたとされる言葉
そして人は言葉を持ってのみ思考できる事から
人の意識は言葉であるとも言えます
意識が物質を作り出すという世界観が
最新のサイエンスでは
遠くなくエビデンスが出るとも
言われています。
人間が協力して神に逆らう事のできないように
言葉で人間を分けたと旧約聖書にはあります
バベルの塔に関係する一節
そうして分けられた世界の言語
ある人はこう言いました
英語は商人の言葉
ドイツ語は馬と話す言葉
フランス語はベッドで愛を囁く言葉
イタリア語は詩を読む言葉
スペイン語は神と話す言葉だと
さて私たちの日本語はどんな言葉でしょうか?
本日も無事な1日でありますように
2015年6月25日木曜日
方丈記
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
現代訳:ゆく河の水の流れは絶える事がなく流れ続ける状態にあって、それでいて、それぞれのもともとの水ではない。川面に浮かぶ泡つぶは、消えては生まれ、生れては消え、片時もとどまることはない。
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これもまた宇宙の姿、または私たちの生命活動や娑婆の姿、はたまた時の流れをも表す大変美しい文章です。
このような文章は崇高な音楽にも等しく、日常のノイズから私たちを解き放ってくれる力をも感じます。
本日も無事な1日でありますように
このような文章は崇高な音楽にも等しく、日常のノイズから私たちを解き放ってくれる力をも感じます。
本日も無事な1日でありますように
山
なんでもいい 人一倍,人十倍,人百倍
夢中になれる事を探す事ができたら
それが自分の道となり
オリジナルになるだろう
誰もまだ手をつけた事の無い山は
もしかしたら見つから無いかもしれない
しかしその山を誰かが以前に登った山だと知らなければ
自分が最初に登った山という事でいいのだと思う
いや たとえ誰かと同じ山を登ったとしても
その山をなぜ登ったのか
その山はどんな匂いがして
何を思い何を感じ登ったのか
それはあなただけの感覚であり
以前その山を登った彼とは
まったく違うはずである
やっぱりその山はあなたが初めて登ったのだよ
人は皆 生まれた瞬間にオリジナル
わざわざオリジナルを目指さなくとも
すでにオリジナルなのだ
ただその自らのオリジナルを感じ
その魅力を確認したければ
あなたは登らなければならない
あなたの足で
あなたの心で
あなたの意志で
2015年6月24日水曜日
自由
本日は釈迦の言葉からスタートしたいと思います。
釈迦が残した哲学には大変驚かされ
そして心を打たれます
釈迦が説いた、自由・平等・博愛
中でも「自由」において釈迦は
「自らに由(よ)る」と説きました
己こそ己の寄るべ
己を置きて
誰に寄るべぞ
よく整えし己こそ
まこと得難き寄るべなり
自ら悪をなさば 自ら汚れ
自ら悪をなさざれば 自らが清し
清きも清かざるも 自らのことなり
他のものに寄りて 清むることを得ず
厳しい言葉のようで潔さのある言葉にも感じます
孟子の言った「大丈夫」などの道徳的な要素すら無い
大変シンプルで余分な贅肉の一切無い言葉に美しさも感じます
本日も無事な1日でありますように
2015年6月23日火曜日
量子の世界に見えるもの
本日は量子力学の世界からスタートします。
量子力学の世界では「量子のもつれ」「重ね合わせ」という素粒子の状態がさまざまな実験結果から100%としてのエビデンスが世界中で取れています。
しかしながら、なぜそのような状態があり得るのか?について、実は世界中のトップの物理学者が「????????」だと言うのです。 なぜなら、素粒子のミクロの世界を見ると、個体のようで波のようで、はたまた、有るようで無いようで、、、まさに「色即是空 空即是色」の仏教哲学世界そのままなのです。
となりますと、それらの素粒子からなる私たちもまた「有るようで無いような、、、」「肉体であり精霊のような」「個体であり波動のような、、、」そうなってしまうというわけです。 私たちが信じているこの世が、実際は目に見える世界はほんの一部で、もっともっと幻想的で幻に近い存在であることが、最先端科学の力で垣間見れて来たのかもしれません。
私はスピリチュアルという言葉は好きではありません。なぜならスピリチュアルと言ってしまえば、そこから思考しなくなってしまうと感じるからです。
私たち人間が、一般的にこの目で見える範囲は「可視光線」の波長のみです。それをとってみても、まさに私たちは実在するはずの物を「波」として自分に取り入れ、それを判断し感じているのです。
さて、仕立屋として「色」というものをどう考えるか? 「色」というものとどう向き合うべきか? 量子の世界もまた、私に何かを教えてくれる気がしているのです。
本日も無事な1日でありますように。
2015年6月19日金曜日
PITTI UOMO
現在、FIRENZEで世界最大規模のメンズのプレタポルテの展示会 PITTI UOMOが開催されています。
数年前ぐらい前までは、この展示会に足繁く通っては仕立屋としても大いに刺激を受けていました。色を魔術師の様に使うイタリアを中心とした各メーカーのセンスに圧倒され、いろんな発見と感動を受けていました。
しかし、最近はこの展示会に通わなくなりました。
理由は何となく違和感を感じ始めたからです。
各メーカーが打ち出す色鮮やかな作品と、そのセンス力にただ圧倒されているだけでは、所詮は彼らの後追い、そしてモノマネにしかなりません。
ただ私の目を通して脳だけを刺激される展示会にこのまま通い続けても、あまり大きな意味を持たない気がし始めました。
展示会でいくら刺激を受けたところで、自分の身になったのは、思い返して見てもほんのほんのわずかだった事に気付いたのです。
私にはそれよりももっと先にやらなくてはならない事が山の様に残されていたのだと思う様になりました。
それは簡単に言えば、彼らのセンスの源を探す事でしょうか。
センスとは何か?色とは何か?服とは何か?
そういった事に向きあう方が先だと思ったのです。
ですので、もう少しPITTIの展示会はお休みです。
まだまだしばらくは、展示会での勉強より先にやらなくてはいけない勉強に励みたいとおもいます。
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