2015年8月11日火曜日
気付きを求めて
FIRENZEのノイズの無さは私に大変大きな力と有意義な時間を与えてくれます。 大きなインスピレーションを頂く事もあれば、 調子に乗ってそれを求めると全然もらえません。 でも気がつけば、私が求める形でのインスピレーションとは違った角度の それをもらえている事に気づきます。 そしてそのインスピレーションこそが今の私が最も得なくてはいけないものだったり。
人生って自分への問いかけと、その問いに答えてくれるイタリア的に言うと聖霊からのメッセージの気付きだと思います。 ノイズの少ないこの街の空気でミケランジェロやダビンチ、ラファエロやバザーリ、ブルネレスキが美しい芸術を残しました。 彼らの作品を生活の中で日常的に見る事のできる環境は、大変大きなものだと思います。 数百年経った今でもまったく枯れずに輝き続ける芸術。 芸術という素晴らしさは、その人が死した後でも脈々と次の世代に残り、大きな影響を与え続けます。
私の仕事である服作りは、後世に残るような芸術ではありません。 寿命は良く持っても10年というもの。 しかしその10年というお客様の時間に責任を持つという仕事は やはりやり甲斐があり、緊張感があり、 刹那な時間を担当するという潔さも感じます。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
淀みに浮かぶうたかたを作り、時間と共にそのものは消えていきます。 そこにどんな意味を持たせる事ができるか? 仕立て屋としての問いは死ぬまで続くのかもしれません。
私が尊敬し愛した祖父が亡くなった時、祖父が仕立て屋に作らせたスーツがありました。そのスーツは祖父の匂いがしていて祖父が死しても祖父の存在を大変感じる物でした。そのスーツは昔のブリティッシュ仕立ての手縫いで丁寧な仕事のスーツでしたが、生地と仕立て方が合わさって、大変どっしりと重く、今私が作るスーツと比べたら肩が凝るスーツだったろうな〜と思います。 そんな肩が凝るようなスーツでも、そのスーツには祖父の魂が宿っていたように思います。それを思えば、技術や機能性だけでは計り知れない要素が服にはあるのだなと気付かされます。 フィレンツェの街にあふれる美しい芸術に囲まれながら、スーツというシンプルな物の中にまだ私が気づかないどれだけの可能性があるのだろうか?と素直に思いをはせる日々であります。
2015年8月2日日曜日
FIRENZEでのスーパームーン
ここ数年で最も力の有る月と言われる「スーパー・ブルームーン」
その時期をフィレンツェで迎えた。
今日は夕刻から洪水になりかけるくらいの大雨に見舞われたフィレンツェも、レストランでのディナーが終わればフィレンツェ中の汚れた空気を全て洗い流していた。日中の猛暑とは打って変わった澄みきった冷たい風を受けながらフィレンツェの夜を歩く。
家路に帰るための曲がり角を曲がったらそこに巨大なスーパームーンが出現。身体中に走る鳥肌と共に足をとめるしかない衝動に見舞われ言葉を失う。
何かに導かれるような思いでゆっくりと家路に向かった。
なんとも言えない夜でありました。
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