2016年6月25日土曜日

母なる小さな街


 自らの思いを表現することにどれだけの意味があるのか分からないが、自然に湧き出る思いは生きているということと深い関係にあると思うので、恥を忍んでこうして思いを連ねるようにしている。今日もたわいも無い思いを書き連ねようと思う。

 イタリアは日本と違って1点に集まる東京という都市が無い。よってそれぞれの街が未だに歴史に裏付けされた独自性を維持している。それぞれの街の人が 自らの街を愛し、誇りに思い、そして自分を育てた母のように自らの郷土に思いをはせる。イタリアの人々は実の母とともに街もまた彼らを育てている。

 日本も昔はそれが当たり前だったろうし、今も田舎ではそういった空気も残されている所も多いのかもしれない。しかし東京に近い首都圏に住んでいる私は、まさに根無し草のように心の郷土を持たない。この不安定さはなんとも寂しいもの。日本で知り合いは多いが友人は少ない。日本はみんな忙しすぎて友人を作る暇も無いと思えるほどだ。

 フィレンツェでは毎週末いつものバーやレストランにいつものメンバーが集まって たわいもない話をして食事を共にしたり、近い場所でみんな働いているので、わざわざ週末でなくても絶えず誰かとのプライベートな交流にあふれている。
それが小さな街、小さなコミュニティーでずっとずっと長く人生を過ごす魅力であると思う。

 私のフィレンツェの友人のパオロとガブリエッレは、毎日のように電話で連絡を取り合い、その仲の良さは日本人的な感覚からすれば本当に驚くほど。でもそうして幸せそうな彼らの姿を長く見ていると、彼らのライフスタイルを本当に羨ましく思うのです。

 幸せになるのには、何もかも揃う大きな都市なんていらない。数え切れないたくさんの友人もいらない。多様な食材を使った世界中の美食もいらない。小さな街で小さなコミュニティーで一見地味な生活の中にこそ大きな温もりと凝縮された色濃い充実があるのだと。